2020年04月11日
窓ごしに見た「魔法の花火」☆

来月家族で参加予定だった、栃木県の温泉街のマラソン大会は、
中止となりました。
(以前の記事<ならば我が家の決意はー>をご覧ください♪)
大丈夫です。また 必ず行きます。
(以前の記事<<目標は、<家族で全国!>>をご覧ください♪)
さて、先生は、約7年前から「重症筋無力症」という
難病にかかっておりまして、
約一年半前、9月の季節の変わり目に、肺炎の発熱から難病が急悪化して
呼吸困難になり、救急車で病院に運ばれる、という事態が起きました。
(だから昨今のこのウィルスによる肺炎の話題も、正直なところ、怖いです・・・。トラウマです汗)
急でしたので、ちょっと大変でした。
平日の午後でしたので とりあえず
息も絶え絶えに、救急車を呼び、
声が出ない声で、どうにか学校と話をして、
当時中学3年生と小学5年生の娘二人を急きょ自宅に帰らせ、
(次女の方は、実家の母に送迎をしてもらい)
教室のある日でしたので、急きょご連絡をして、
教室のある日はいつもそうするように夕飯を用意しておいて、
帰宅してただことじゃない事態に驚くも、
でもいつものように、早夕飯のピーマンの肉詰めを食べ始めた娘二人に、
「息が出来なくて病院にいってくるから、ごはんを食べてお風呂まで入っておいて。」
・・・と、メモ書きをして(筋力が落ちてしゃべれないので)
多分今日中には帰れるだろうと、適当に荷物をつめて、
救急車ではなく(汗)実家の父の車に乗せられ まずかかりつけの医院に到着してから、
ただごとではないと、そこからいよいよ救急車で
隣の市の病院まで運ばれました。
着いたのは、午後6時半頃。
救急搬送されるも、先生の難病を診られるお医者様が
今いらっしゃらない、ということで(内科・・・ではなく神経内科という区分だそうです)
午後8時ごろ、神経内科の先生が当直していらっしゃる
群馬県の病院まで、また救急車で運ばれました。
(娘二人は、実家にお願いしましたので、そっちはそっちで急なことで、
カギの管理やお泊りの荷物を用意したりで大変だっただろうなぁと、思います。)
それで、この病院で、今後の急変も考えて入院という事になり、
そこで2日間入院し、肺炎の熱が下がり呼吸も落ち着いたので
いよいよ難病の本格的な治療に、
3日目の早朝にまた、最初にお世話になった隣の市の病院に戻りました。
母も父も仕事のため、独りぼっちで、タクシーに乗って。
着のみ着のまま、とりあえずの荷物と、コンビニで買った朝ごはんを持ち込んで。
午前9時ごろに出戻りで病院に着いて、
仕事を抜け出した母と、いつもの看護師さんと合流したら、
今までの心細さで一気に涙が出てきました。
・・・で、担当医と話をして、この日にここでまた入院。
午後から病室に入って、看護師さん二人体制で(!)たくさん両腕に点滴や管を付けられ、
(どうやら すぐ始めないと間に合わない治療みたいだったそうです 汗)
でも、先生のことをよく知っている気さくな看護師さん達で、ホッとして、嬉しかった。
ああ、アウェイじゃなくて、ホームに帰ってきた(笑) と思いました。
・・・で、 その日の病院での夕食が、「ピーマンの肉詰め」
あの日 娘二人を置いてきたのと同じように、トマトソースもかかってて。
・・・食べながら、また 泣いてしまいました。
先生が入院したのは最上階。ラウンジからの眺めがとても良い階。
でも、無菌室があり、ウィッグのチラシなんかがおいてある階。
いつも同じ時刻同じ場所にやってくる
点滴を付けたお兄さんが突然こなくなってしまったり、
受験勉強をしている高校生(と そのにぎやかな仲間たち(笑))もいる階。
約3週間の入院期間、繰り返される治療に耐えるのは1人ぼっちだったけれど
知っている病院と先生達だったし、娘達も会いにきてくれたし、
途中お祭りも(ラウンジから)見ることができたし、安心して治療に専念できました。
ラウンジから見る午後5時半の夕日は、今までのことを思い出したり考えたりできる、
それはとても、素敵な時間でした。
・・・その後はラウンジにいる人かげも少なくなっていくのです。
(なぜって?・・・これから夕ご飯だから!(笑))
それで、いよいよ退院日が決まり、
前日に またいつものように、娘達に「おやすみ」を携帯で言いにラウンジに。
いつもの席にすわって、ふと夜空を眺めると、
・・・・花火です。
恋バナをしていた受験勉強の高校生の仲間たちも、わぁ!花火だぁ! きれーい・・・!
いつもまにか 病室にいたであるろうおっちゃん達2・3人も集まってきました。
言葉を少し交わして、
(どうやら 病院のある地域のお祭りだったそうです。
ここからは見えないけれど、地上では(笑)コスモスがいっぱいに咲いていて
「そりゃあ きれいで見事」だそうです。)
後は、みんな、言葉も発さず、
同じ病院着で、みんな同じ方を向いて、病院の最上階の、
静かで暖かいラウンジの窓越しからから見る
次々とあがる花火。
・・・ なんだろう、なんでこんなタイミングが合うんだろう。
ピーマンの肉詰めといい、退院前夜の花火といい、
一人ぼっちだったけれど、両腕にはいくつもの
点滴や注射の針の跡があったけれど、
たくさんの思い出やものたちに
「大丈夫だよ。あなたは頑張れるよ」って
背中を押されているようでした。 本当に、ここの病院でよかった(泣笑)
・・・そして、家族がまた一緒になったその日から
本当に、我が家の娘たちの快進撃が始まるのです。
受験期の中でも、先生の入院中に
次女のお世話や家のお掃除などコマコマ動いてくれた長女は、
駅伝市予選で1位から県大会出場、12月の桶川の駅伝でアンカーを務め中学チーム2位まで押し上げ、
地方紙に掲載され、さらに年明け1月の妻沼の駅伝でもチーム上位に。
英検準2級に合格し、入試一週間前の個人参加の深谷市のマラソンでも入賞。
そして 公立一本に絞った志望校に合格し、3月の熊谷市のマラソンでは選手宣誓をさせて頂きました。
その一部始終を一緒に見てきた次女も、
学校や個人参加の記録会や大会で、結果を出しいい走りを見せてくれています。
・・・・あの花火は、 多分、「魔法の花火」☆
あの高校生も達も、新しい進路を見つけたかしら。
あれからもう一年半たったけれど、おっちゃん達は今どうしているだろうな。
だから、今が大変な中にあったとしても、失ったものがあっても、
それを乗り越えた先には、きっと素晴らしいことが 待っている。
後になって振り返れば、「大切なもの」として、ずっとついてきてくれるでしょう。
案外すぐそばにあるかもしれない「魔法の花火」を、
1人1人が拾い上げて、
心の中を、行動を 前を向いて。
みんなで一緒に、乗り越えてゆきましょう

あの時のお祭りは、想像だけど、こんなかんじだったのかなあ・・・ ↓
・・・それから、入院中に、つまりかけていてたキッチンの排水口を
ゴム手袋と割りばしで
ごしごしキレイに直してくれた(!)長女。 ・・・ホントに助かりました(涙)ありがとう!

Posted by 学研スポーツ公園通り教室・妻沼東ゆい教室 at 09:00
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