2021年03月25日
☆卒業される皆様へ☆ 先生から 2
☆卒業のシーズンです☆☆
熊谷市の小学校中学校の卒業式も、今年は
在校生の参加はなくて、卒業生と保護者様だけの参加となりました。
教室の小学6年生、中学3年生も、卒業です。
ここまで通ってきてくれて、どうもありがとう。
去年の、卒業に寄せた先生からのメッセージを そのまま載せますね。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

いよいよ明日は小学校の卒業式ですね。
卒業に際し、先生のことを少しだけお伝えしますね。
先生は、先生のお母さんが熊谷で先生を産んだので、
出身は埼玉県ですが、 実は3歳くらいまで、栃木県の足利市に住んでいました。
渡良瀬川の近くの土手沿いの社宅です。
(少し前、某アイドルが歌った歌のタイトルにもある、あの渡良瀬川です)
社宅で団地で、遊ぶものは、積み重ねられたタイヤと、
なぜかパンダの絵のコンクリートの壁くらいでしたが、
おんなじように社宅に住んでいる、同じくらいかちょっと年上の
子ども達の後を、ついて回って遊んでいました。
(先生は一番下の年齢だったので)
よく遊んだSさんのお宅にいつも上がってしまって、
カレーをごちそうになったこともありました。
買い物は、先生のお母さんはまだ車を運転できなかったので、
土手沿いの下の道のつき当たりにある、青い屋根の小さなお店まで、
お父さんが仕事に行っている間、二人でのんびり歩いて、行きました。
時々、今は亡くなってしまった、先生のお母さんのお母さん(先生のおばあちゃん)が、
熊谷から、バスと電車を乗り継いて、ケーキとか苺とかお土産に持ってきてくれて
先生はそれがとっても嬉しかったのを覚えています。
そうした生活も、父の仕事の関係で、社宅を引っ越すことになり、
タイヤの遊び場とも、Sさんとも、青い屋根のお店ともお別れになりました。
そして、弟もでき、この熊谷での生活が始まりました。
先生も大きくなり、中学生くらいの時だったでしょうか、
絵が好きな先生は、足利市の美術館に見に行きたい展示を見つけたので、
亡くなったおばあちゃんがしていたように、バスと電車を乗り継いて、
また、なつかしいあの場所へ帰ってきました。
渡良瀬橋も、土手沿いの道も、橋のたもとにあるお花の名前のレストランも、
あの3歳の時のおんなじで、変わっていないで、そこにありました。
でも社宅だけは、四角いあの頃の社宅じゃなくて、お洒落なアパートに変わっていました。
でも先生は、渡良瀬橋から続くあの緑の土手が見られたことが
とてもとても懐かしくて、嬉しかったのです。そして、
帰りの電車の中では、
またいつか、育った場所を見に行こう、と思っていたのを覚えています。
そうして、もっともっと先生も大きくなり、
結婚をして、 長女と次女が産まれ、 車の免許をとり、
・・・中学生のあの時から 20年くらいたっていたでしょうか、
娘達を車に乗せて、3人で遊びに出かけた際に、
ちょうど、また あの場所を通ることになったのです。
熊谷からの懐かしいあの道、お花の名前のレストランの前を通過して、
渡良瀬川を渡る道。
・・・また、渡良瀬橋に会えるんだ、とワクワクしていたら、
・・・あの、懐かしい薄いグレー色の渡良瀬橋は、すっかり無くなっていました。
代わりにあるのは、整備された大きな橋。(新しい渡良瀬橋・・・なのでしょう)
そして、そこからつながった先にある風景は、運転しながら先生の目に見えたのは、
土手も、緑も、お洒落なアパートも、跡形もなく無くなって
ただ大きな橋からつづく大きなコンクリートの道路が、
迷路のように、ぐるぐる続いてあるだけ でした。
見なかったけれど、きっと 青い屋根のお店も、ないでしょう。
小さいお店だったので、きっと大きい橋から続く道路に、追い出されてしまったでしょう。
だから、 先生のふるさとは、すっかり無くなってしまいました。
あのタイやも、パンダも、Sさんのカレーも、
あそこにいた子どもたちみんなの、笑い声や笑顔も、
もう すっかり 何も無いようになって、
戻りたくても、また見たくても、見ることはできなくなってしまいました。
・・・という、本当のお話です。
だから、卒業されるみなさんも、
明日、いつもの年と大分違った形の卒業式をすることや、
これから出会う人たちや物事は、
いつか会えなくなったり、無くなってしまうかもしれない、
ずっとそこで、そのままでいるとは限らない、ということを
よく頭に入れておいて欲しいのです。
そして、ひとつひとつの物事と、
嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり、喜んだり、たくさんの感じた気持ちを
心の中で誤魔化さずに、そのまま受け止めてください。
何気なく過ぎていく、感じている1つ1つも、
すべてが大切な思い出になることを
忘れないで、
何事にも一生懸命、思いっきり経験して下さい。
それから、もう一つ。
先生のふるさとは、
心の中だけにある、ちっぽけなものとなりましたが、
それは、先生が生きている限り、ずーっと、ずーっと 残ります。
嬉しいことや楽しいことが
すっかり思い出になってしまう時は、悲しく、さみしくなるものだけれど、
これからもし、つらい事があった時には、
その、
今まで自分が作ってきた思い出達に助けられ、支えられて、それを
乗り越えて生きていけたりもします。
みなさんの思い出も、みなさんの心臓が動いている限り、
ずっと心の中で、みなさんと一緒に生きています。
卒業されるみなさんへ、
そんな素敵な宝物たちを、これからもたくさんたくさん
心の中に、大切に、集めていってください。
そして、大切な宝物たちと一緒に、みなさんの人生を 思い思いに 輝かせていって下さいね。
一足早く・・・
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
・・・という 文章です。
去年の卒業生の皆様、この一年で あなたの前に、
どんなことがやって来ましたか♪
そして、今年卒業される皆様、
去年卒業された皆様たちを前に見て、
今度はあなたたちが それぞれの
どんな一年を 切り開いていきますか?
今は過去になって 今が未来につながる。だから、
未来へ続く 今 の 一瞬一瞬を
大切な気持ちで 生きていけますように おめでとう☆

教室についてはHP 「熊谷市 学研スポーツ公園通り教室」検索
1人1人に合わせた指導で、学習を通して
お子さまの学力向上と主体性をのびのび、育んでいきます。
「小人数」教室体制で学習中。
☆2/1~入会金¥0キャンペーン実施☆
☆コロナ禍での一年の、学習診断しています☆
無料体験随時受付中
熊谷市の小学校中学校の卒業式も、今年は
在校生の参加はなくて、卒業生と保護者様だけの参加となりました。
教室の小学6年生、中学3年生も、卒業です。
ここまで通ってきてくれて、どうもありがとう。
去年の、卒業に寄せた先生からのメッセージを そのまま載せますね。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

いよいよ明日は小学校の卒業式ですね。
卒業に際し、先生のことを少しだけお伝えしますね。
先生は、先生のお母さんが熊谷で先生を産んだので、
出身は埼玉県ですが、 実は3歳くらいまで、栃木県の足利市に住んでいました。
渡良瀬川の近くの土手沿いの社宅です。
(少し前、某アイドルが歌った歌のタイトルにもある、あの渡良瀬川です)
社宅で団地で、遊ぶものは、積み重ねられたタイヤと、
なぜかパンダの絵のコンクリートの壁くらいでしたが、
おんなじように社宅に住んでいる、同じくらいかちょっと年上の
子ども達の後を、ついて回って遊んでいました。
(先生は一番下の年齢だったので)
よく遊んだSさんのお宅にいつも上がってしまって、
カレーをごちそうになったこともありました。
買い物は、先生のお母さんはまだ車を運転できなかったので、
土手沿いの下の道のつき当たりにある、青い屋根の小さなお店まで、
お父さんが仕事に行っている間、二人でのんびり歩いて、行きました。
時々、今は亡くなってしまった、先生のお母さんのお母さん(先生のおばあちゃん)が、
熊谷から、バスと電車を乗り継いて、ケーキとか苺とかお土産に持ってきてくれて
先生はそれがとっても嬉しかったのを覚えています。
そうした生活も、父の仕事の関係で、社宅を引っ越すことになり、
タイヤの遊び場とも、Sさんとも、青い屋根のお店ともお別れになりました。
そして、弟もでき、この熊谷での生活が始まりました。
先生も大きくなり、中学生くらいの時だったでしょうか、
絵が好きな先生は、足利市の美術館に見に行きたい展示を見つけたので、
亡くなったおばあちゃんがしていたように、バスと電車を乗り継いて、
また、なつかしいあの場所へ帰ってきました。
渡良瀬橋も、土手沿いの道も、橋のたもとにあるお花の名前のレストランも、
あの3歳の時のおんなじで、変わっていないで、そこにありました。
でも社宅だけは、四角いあの頃の社宅じゃなくて、お洒落なアパートに変わっていました。
でも先生は、渡良瀬橋から続くあの緑の土手が見られたことが
とてもとても懐かしくて、嬉しかったのです。そして、
帰りの電車の中では、
またいつか、育った場所を見に行こう、と思っていたのを覚えています。
そうして、もっともっと先生も大きくなり、
結婚をして、 長女と次女が産まれ、 車の免許をとり、
・・・中学生のあの時から 20年くらいたっていたでしょうか、
娘達を車に乗せて、3人で遊びに出かけた際に、
ちょうど、また あの場所を通ることになったのです。
熊谷からの懐かしいあの道、お花の名前のレストランの前を通過して、
渡良瀬川を渡る道。
・・・また、渡良瀬橋に会えるんだ、とワクワクしていたら、
・・・あの、懐かしい薄いグレー色の渡良瀬橋は、すっかり無くなっていました。
代わりにあるのは、整備された大きな橋。(新しい渡良瀬橋・・・なのでしょう)
そして、そこからつながった先にある風景は、運転しながら先生の目に見えたのは、
土手も、緑も、お洒落なアパートも、跡形もなく無くなって
ただ大きな橋からつづく大きなコンクリートの道路が、
迷路のように、ぐるぐる続いてあるだけ でした。
見なかったけれど、きっと 青い屋根のお店も、ないでしょう。
小さいお店だったので、きっと大きい橋から続く道路に、追い出されてしまったでしょう。
だから、 先生のふるさとは、すっかり無くなってしまいました。
あのタイやも、パンダも、Sさんのカレーも、
あそこにいた子どもたちみんなの、笑い声や笑顔も、
もう すっかり 何も無いようになって、
戻りたくても、また見たくても、見ることはできなくなってしまいました。
・・・という、本当のお話です。
だから、卒業されるみなさんも、
明日、いつもの年と大分違った形の卒業式をすることや、
これから出会う人たちや物事は、
いつか会えなくなったり、無くなってしまうかもしれない、
ずっとそこで、そのままでいるとは限らない、ということを
よく頭に入れておいて欲しいのです。
そして、ひとつひとつの物事と、
嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり、喜んだり、たくさんの感じた気持ちを
心の中で誤魔化さずに、そのまま受け止めてください。
何気なく過ぎていく、感じている1つ1つも、
すべてが大切な思い出になることを
忘れないで、
何事にも一生懸命、思いっきり経験して下さい。
それから、もう一つ。
先生のふるさとは、
心の中だけにある、ちっぽけなものとなりましたが、
それは、先生が生きている限り、ずーっと、ずーっと 残ります。
嬉しいことや楽しいことが
すっかり思い出になってしまう時は、悲しく、さみしくなるものだけれど、
これからもし、つらい事があった時には、
その、
今まで自分が作ってきた思い出達に助けられ、支えられて、それを
乗り越えて生きていけたりもします。
みなさんの思い出も、みなさんの心臓が動いている限り、
ずっと心の中で、みなさんと一緒に生きています。
卒業されるみなさんへ、
そんな素敵な宝物たちを、これからもたくさんたくさん
心の中に、大切に、集めていってください。
そして、大切な宝物たちと一緒に、みなさんの人生を 思い思いに 輝かせていって下さいね。
一足早く・・・
ご卒業おめでとうございます☆

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
・・・という 文章です。
去年の卒業生の皆様、この一年で あなたの前に、
どんなことがやって来ましたか♪
そして、今年卒業される皆様、
去年卒業された皆様たちを前に見て、
今度はあなたたちが それぞれの
どんな一年を 切り開いていきますか?
今は過去になって 今が未来につながる。だから、
未来へ続く 今 の 一瞬一瞬を
大切な気持ちで 生きていけますように おめでとう☆






☆写真は コロナ禍以前のものを抜粋☆
教室についてはHP 「熊谷市 学研スポーツ公園通り教室」検索
1人1人に合わせた指導で、学習を通して
お子さまの学力向上と主体性をのびのび、育んでいきます。
「小人数」教室体制で学習中。
☆2/1~入会金¥0キャンペーン実施☆
☆コロナ禍での一年の、学習診断しています☆
無料体験随時受付中
Posted by 学研スポーツ公園通り教室・妻沼東ゆい教室 at
13:00